Vol.06 レイニー加藤さん 『ベーシストで7thをあんなに上手く取り入れたのはチャックが最初じゃないかな。』
第六回目のゲストは、チャック・レイニーとは古くから親交のある、レイニー加藤さんをお迎えしました。
2014 10/6 @銀座 エフ・ディ・エス
プロのベーシストになった頃のレイニー加藤さんと、その後のキャリア。
1953年7月18日。兵庫県尼崎市生まれ。17才、高校生の頃に1つ年下の増田俊郎とロックバンドを組み、そこで始めてベースを持つ。他にギターの大谷博彦なども在籍していた。(増田俊郎は自身のバンド「シェリフ」を結成。現在も関西で活動中。また関西ラジオのパーソナリティーとして、数多くの番組に出演中。)(大谷博彦もバンド解散後、新たにバンド「シーザリアン・オペレーション」を結成する。このバンドはヤマハ主催のロックコンサート「88 Rock day」にも出演。その後もサディスティック・ミカバンド、ダウンタウンタウンブギヴギバンド、安全バンド、桑名正博、館ひろし&クールズ、モップスなどとも共演。大阪厚生年金 大ホールに来日したロビン・トロワーの前座も務め、現在も活躍中。)
72年、19才になると「New Bell」と言うソウルバンドに在籍。メンバーはハモンドオルガンにボビー原、ギター北原亜紀良、ドラムス浅川ジュン。関西に数多くある、ディスコハウスに出演。当時のソウル、ディスコの名曲を演奏する。その後、拾得や磔磔にも出演するようになる。
このバンドで3年ほど活動した後の75年に、大上留利子が在籍していたバンド「スターキング・デリシャス」を解散し、新たに結成したバンド「スパニッシュ・ハーレム」に加入する。メンバーは仲豊男(Gt)、高橋イタル(Keyb)、松田俊一(Kyeb)、小林謙治(Dr)他。このバンドで2枚のアルバムを残す。
『ドリーマー・フロム・ウエスト(78)』アレンジを鈴木茂のバンド、ハックル・バックでキーボードを弾いていた佐藤博が担当。サイドミュージシャンは村上秀一、林立夫、松原正樹、山岸潤史、斎藤ノブ他。
『ええ歌ばっか(79)』加藤和彦プロデュース。作家陣に宇崎竜童、大野克夫、西岡恭蔵×KURO他、豪華作家陣を揃える。
その後も関西で、数々のバンドに参加した後、30才になった83年に上京。ブレッド&バターから声をかけられ、ラッツ&スター、他などのサポートを経験する。また東京のライブハウスにも頻繁に出演するようになると、六本木ピットイン、ジロキチなどで、数多くのミュージシャンと知り合い、セッションを積み重ねていく。今剛、松原正樹を始め、ナニワ・エクスプレスのキーボード中村建治、大谷レイブン、是永巧一等、関西と東京のミュージシャンとのセッションを重ねる。他にも佐橋佳幸、上原ユカリ、島村英二、エルトン永田、大槻啓之など、そうそうたるメンバーとのセッションも行う。98年、自身の店、SOUL BAR『Rainey’s』を自由が丘で始める。
同年、プレイヤーズに参加していたボブ斉藤、若い頃からCharとも親交のある、Kaz(カズ)南沢の3人でバンドを結成する。この3人が母体となり、翌99年頃よりRainey’s Bandとして活動を始める。
03年、彼らの1枚目のアルバムを、ライブアルバムとしてリリース。『Rainey’s Band Live at R’s Artcourt(03)』メンバーは前述の3人、加藤、南沢、斉藤の他、ギター西山 Hank 史生、キーボード エルトン永田、ドラム Jr 豊田、パーカッション 竹本一匹、コーラス 杉本和世、三松亜美。
04年には、この時の映像もDVDで出す。
06年になると、初のスタジオ録音をリリース。『patience and forgiveness(06)』 録音参加メンバーはRainey’s Bandの3人の他に、今剛(Gt)、西山 Hank 史生(Gt)、松下誠(Gt)、庄司厚人(Gt)、石坂和弘(Gt)、エルトン永田(Key)、醍醐弘美(Key)、KOTEZ(Harp)、島村英二(Dr)、正木五郎(Dr)、鎌田清(dr)、嶋田吉隆(Dr)、山田智之(Per)、竹本一匹(Per)、三松亜美(Cho)、杉本和世(Cho)。
08年、スタジオ盤としては2枚目、通算3枚目をリリース。メンバーは2枚目のメンバーの他、マサ小浜(Gt)、小林信吾(Key)、友成好宏(Key)、Mac清水(Per)などが新たに参加。現在もこのRainey’s Bandでの活動の他、高橋マコト、大槻啓之、鈴木桃子、国岡真由美、藤原美穂、小林エミ、Keiko Walker、皇甫純圭、MUSUMI、中村哲、石黒彰、中島オバヲ、上原ユカリ他と、精力的にライブを行い、活躍を続けている。
(写真提供;株式会社アイノア)
当時使用していた楽器をお聞かせ下さい。また今使用している楽器についてもお聞かせ下さい。
二十歳の頃に買ったやつで、今日持って来たこのベース。72年のフェンダープレシジョンベース。最初はボディーの色が黒のメイプルネックだったんだ けど、チャックに憧れてブルーに変えたのよ。(笑)この後、今はもう手元には無いけど72年サンバーストのジャズベースがあった。次も、もう持っていない けど、ナチュラルでメイプルネックのミュージックマンかな。いわゆるスティングレイベース。どちらも22〜23才の頃だから、75〜6年あたりだね。
95年に80年製の白いプレシジョンベースを手に入れました。と言ってもこれはVintageシリーズで、64年 Vintage Precision仕様になっているやつ 。ネックはこの頃の特徴で、薄く平たいスラブ張りのネック、作りが丁寧な1本ですね。
その次がRainey’s Bandを始める頃だから98年あたりだね。59年のフェンダープレシジョンベースを買ったんだよね。これが今でもメインのベース。サンバーストでローズウッドのスラブネック。翌年99年に、66年のテレキャスターベースを購入。色はナチュラルでネックはメープル。00年には65年、赤のジャズベースを手に入れてね、ネックはローズで太め。どうやらネックは太めが好きみたい(笑)
このあたりの4〜5年は良く楽器を買っていたね。あとギブソンもあって、64年のEB—2D。これいい音、しますよ。もう一つ、変わったところではDobro Bassも持っていますよ。これ持っている人は、少ないんじゃないかな。こうやって見てみると、自分の持っているベースは偏っているなぁ(笑)
これらのベースはレイニー加藤さんのHPで見る事が出来ます
http://raineykato.com/basses.html
72年のフェンダープレシジョンベース (3)
64年 Vintage Precision (80年製) (2)
59年フェンダープレシジョンベース (1)
66年フェンダーテレキャスターベース (4)
65年フェンダージャズベース (5)
64年ギブソンEB—2D (6)
Dobro Bass (10)
(他にも数本所有。番号は加藤さんの、サイト内の写真番号)
最初にご自身が参加されたアルバムで、想い入れのあるのは何でしょうか?
スパニッシュ・ハーレムのも良いんだけど、やっぱり自分がやっているバンドが良いよね。『Rainey’s Band Live at R’s Artcourt(03)』ソウルの名曲とカズのオリジナルが入っているアルバム。しかもこれはライブだしね。
ありがとうございます。ではここからはチャック・レイニーについてお聞かせください。レイニー加藤さんが初めて聴いたチャック・レイニーの音が入ったアルバムはどれなのか、お聞かせ下さい
これですね。「Junior Parker」の『You Don’t Have To Be Black To Love The Blues(70)』ともう1枚、同じく「Junior Parker」の『Love Ain’t Nothin’ But A Business Goin’ On(70)』。まず東京の人は聞いてないかな。かなり前にCDで再発されたんだけど、今はもう無くてね。市場では10万円するみたいよ! この2枚は、本当に良く聞いた。
加藤さんらしいアルバムを選んでいらっしゃいますね。その後、チャック・レイニーが参加しているアルバムを聴いて、印象に残っているアルバムは何ですか?
やっぱりあれかな、「Marvin Gaye」『I Want You(76)』。あと「Leon Ware」『Musical Massage(76)』。この2枚は同じ時期だね。あと、こっちの方が先に聞いたのがあって、「Cornell Dupree」『Teasin’(73)』。他には「Aretha Franklin」の『Rock Steady』が入っているアルバム『Young, Gifted And Black(71)』だね。
レイニー加藤さんはそれらのアルバムを聴いたとき、チャックさんのプレイをどのように思われましたか?
やっぱりグルーヴがね、半端ないって事だね。それと音使いのセンスの良さがね、素晴らしかった。3度や7thの使い方が今までになかったからね。有名なダブルストップ(チャック・レイニーの有名なフレーズ。和音を用いた奏法)にしたってそうだけど、他のベーシストとは全く違ったものに聞こえたからね。グルーヴがドォーンって来るべーシストはいたんだけど、それに音使いのセンスが伴ったベーシストは初めてだったんですよ。
僕はチャックと同じ、「King Curtis」のバンド出身のベーシスト、Jerry Jemmottも好きなんだけど、彼より都会派で繊細って感じでしたね。
これはチャックから聞いたんだけど、Mongo Santamaríaって言うコンガ奏者がいて、コンガで指を滑らせて音を出す奏法があるんだけど、それを見てチャックが「ベースでも出来る!」と思って編み出したらしいんだよね(笑)
それまで、その音を出すのを見た事がなかったんで、チャックに「あの音はどうやっているの?」って教えて貰った事があるんだけど、あれは指でタッピングして、スライドさせて音を出していたんだよね。プーン、プーンって。あれはビックリした。あの音は、かなり前の60年代後半からやっていたってことだよね。だからそこにチャックの、どんな時でも「いつでもクリエイティブでありたい」と言う姿勢が、ベーシストとして名前が出始めた時代から出ているんだよね。5弦や6弦を使い始めたのもそう言う事なんだろうね。
チャック・レイニーがいつも言っているんですが、「すべての始まりは、加藤から始まった。」と仰っているんですが、その時の経緯をお聞かせ願えますか。
最初に会ったのは、僕がやっていた自由が丘の店に来た時でね。ちょうど東京のブルーノートで、ハービー・マンと一緒に来日した時だね。でその時にお店の名刺を渡したのね。そしたら、いきなり二日後の夜11時頃にまた来てくれたのね。チャックたちのライブが終わってからだと思う。こっちもライブやっている店 なんで、ちょうどその時『What’s Goin’ On』演奏している時で、チャックがすぐそばに座って、じっと見ているの。こっちは生きた心地がしなくて。(笑)人生で一番焦った。でもそこからチャック との付き合いが始まったんで、もう15年以上になるんだね。
毎年チャックが来る毎に宴会をやるんだけど、すごくジェントルマンだね。深酒はしないし、僕の友達からサインを頼まれても、全然嫌な顔一つしないで応じてくれるし。だいぶ前に来た時、「娘に着物を買ってあげたい」って言ったので、一緒に探したりね。やっぱり優しい人だよ、チャック・レイニー。あと、また音楽の話になっちゃうんだけど、さっき言ったようにベーシストで7thをあんなに上手く取り入れたのはチャックが最初じゃないかな。根底にBluesがあるミュージシャンは好きだし、リスペクト出来るって言ってたね。そして絶対に人の事を悪く言わないの。こんなところも、やっぱりジェントルマンだね。
大変貴重なお話、ありがとうございました。では最後になりますが、チャックさんに一言、お願いします。
今度ベースを教えてください。手取り足取り(笑)そして飲みに行って楽しい時間を過ごしましょう。健康には気をつけてくださいね。