Vol.01 岡沢章さん 『チャック・レイニーって軟らかい。 ちゃんと弱さがあるんだなとやっとわかったんだね。』
今回から始まる、ベーシスト事典/Bassist Encyclopedia
第一回目のゲストは岡沢章さんをお迎えしました。
ご自身の事、チャック・レイニーの事について話して頂きました。
10/1 @世田谷
プロのベーシストになった頃の岡沢章さんと、その後のキャリア。
1951年3月23日、東京、銀座生まれ。楽器を始めたのは、中学生の頃で、トロンボーンを吹いていた。プロと呼ばれるようになったのは、1968年、17才の時にグループサウンズの「M」に参加した事から。当時、「M」には、ギターに「ゴダイゴ」の浅野孝巳、ドラムに原宿クロコダイルの店長を務める西哲也、後に「イエロー」を結成する垂水孝道・良道兄弟が在籍していた。楽器は、全てバンドの所有だったため、ベースは借り物で、その時は60年代前半の赤いジャズベースを使用していた。
バンドを脱退した後、19才の時にギタリストの松木恒秀の弟子となり、初めてのレコーディングを行う。この時もベースは借り物で、60年代前半のサンバーストのジャズベースを使用。また当時は、アンプもスタジオには無かったため、自分で持参していた。その時のアレンジャーはクニ河内、ドラムはチト河内。
同じく19才の頃「稲垣次郎&SOUL MEDIA」に参加。年に1枚のペースでアルバムを出し、23〜4才の頃にはヴォーカルアルバムも残した。
1972〜 3年に、二十歳前の渡辺香津美と3人でグループを組み、元祖フュージョンバンドを始める。他にも佐藤允彦トリオも同時に活動を続け、松岡直也では初めてラ テンに挑戦。本田竹曠とは「スーパーエレクトリックバンド」を結成する。メンバーは、村上秀一、渡辺香津美。本田竹曠はこの頃、既に渡辺貞夫グループに参 加しており、渡辺貞夫本人がピット・インに見に来ていた。
ある日、渡辺貞夫から電話があり「ちょっとピット・インに来ない?」と誘われた事 がきっかけで、このバンドが渡辺貞夫グループとなっていく。メンバーチェンジが行われた後の1974年には、日野皓正、本田竹曠、渡辺香津美、日野元彦、 等でライブレコーディングされたアルバム「MBALI AFRICA」をリリースする。
1978年、松木恒秀バンドで、新しく六本木に出来たピット・インで、山下達郎と出演。これが2枚組ライブアルバム「IT’S A POPPIN’ TIME」となる。メンバーには松木恒秀の他、村上秀一、坂本龍一がいた。
同じ頃、鈴木宏昌と「コルゲンバンド」に加入。1979年にドラムが市原靖から渡嘉敷祐一に変わり、「プレイヤーズ」としての活動がスタートする。
1980年、吉田美奈子「MONOCHROME」参加以後、現在もサポートメンバーとして活動に参加している。
1986年、1992~1993年には再度、渡辺貞夫グループのメンバーとして、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカのツアーに参加した。
現在もレコーディングセッションや、さだまさし、吉田美奈子、高中正義、等と共演。松木恒秀、野力奏一、渡嘉敷祐一と、自己のグループ「WHAT IS HIP」を結成し、定期的にライブを行っている。
ー最初にご自身が参加されたアルバムで、想い入れのあるものは何でしょうか?
岡沢章:う〜ん、今は浮かばないなぁ〜(笑)いろいろと思い出があるし・・・誰かが、何かを聴いた時に「あ〜良いなぁ」と思ってくれたり、あの時こうしたら良かったとか、若くて張りがあったなぁ〜と。頑張ってやってたんだなぁ〜と(笑)
ーそれでは、若い人に聴いて貰いたいアルバムは?
自分はただベースを弾くだけ。昔を顧みるより、これからのプレイが大事。
評価は聴いてくれる皆さんでお願いします。
ー正に現役ならではでの、お答えですね。次に当時の使用楽器をお聞き致します。
また、今、使用されている楽器についてもお聞かせ下さい。
デビュー当時使っていたベースは借りていたもので、自分で最初に買ったのは65年のサンバーストのプレシジョンで、こん棒のようなネックだったなぁ〜。当時のフェンダーは、手作りの感じがあり、同じ年代でも全然違うベースを作っていて、「え、なんだ、これ」と思った(笑)
ーその後、ジャズべに出会うんですね。
そう、白のジャズベに巡り会ったんだ(61年の白いジャズベース)。しばらくはそれを使っていた。でも今はもうないけどね。周りの皆には、このイメージ(笑)。今はサドウスキー(Sadowsky)の5弦を使っています。白に、ちょっと黄色がかかった色で、10~12年位使用している。
ーここからチャック・レイニーについての質問です。初めて聴いた、チャック・レイニーの音が入ったアルバムは、どのアルバムでしょうか?
多分、Walking In Space / Quincy Jones(69年)と、次のアルバム、Smackwater Jack(71年)だと思う。チャック・レイニーをはっきりと認識したのは、その中の、Ironside(アイアンサイド)が決定的だったね。もしかする と、Walking In Spaceはチャックでは無く、レイ・ブラウンかも知れない。
(岡沢さんの言う通り、ベースはレイ・ブラウンが殆どアコースティックベースを弾いています が、Love and Peaceでチャックがベースを弾いています。)
Smackwater Jackを聴いた後は、完全にチャック・レイニーの入っているアルバムを探し始め、見つけたら全部買おうと(笑)
ーその後、チャック・レイニーのアルバムを聴いていて、印象に残っているアルバムは何ですか?
●ARETHA FRNKLIN 『Let Me In Your Life』 (71年)
表題のスティービワンダーの曲は、見事にチャック・レイニーしている。
このバーナード・パーディとチャック・レイニーはとにかくカッコ良い!
アレンジも凄く良い。このアルバムは好きです(笑)
●LABELLE 『Moon Shadow』 (72年)
これも良く聴きました!
●DONALD BYRD 『Black Byrd』 (72年)
デヴィット・Tウォーカーと一緒にやっていて、良いアルバムだなぁ〜。
ドラムはハーヴィー・メイソンだったけなぁ〜
FENで良くラジオでかかっていた。(調べたところドラムはKeith Killgoでした。)
●NANCY WILSON 『Mother’s Daughter』 (76年)
あと、ナンシー・ウィルソン。
チャック・レイニー、スティーブ・ガット、アレンジは最近亡くなった、ジョージ・デューク。(2013 8/5没) またこれが良いアルバムだったんだよね〜。これも凄く聴いたアルバムだね。
●MARLENA SHAW 『Who Is This Bitch, Anyway?』(74年)
もちろんこれも(笑)今でもたまに聞きますよ。
どれも甲乙付けがたいなぁ〜(笑)。一般に良く知られてないアルバムでも、凄く良いプレイをしているんだよね。あげたらきりがないよ(笑)
(この後、チャック・レイニー公式サイトのDiscographyから、チャックさんが参加した数々のアルバムを見ていらっしゃいました。)
ー章さんは、これらのアルバムを聴いた時、チャックさんの事を、どのように思われましたか?
自分としては、なんてセンスの良いベーシストなんだろう、と。今までのベーシストとは全然違うパターンだし、その後ろにはキャロル・ケイと 言う白人の女性ベーシストの影響力がアメリカではあったんだろうけど、その当時は、存在すら知らなかった。チャックのあの有名なハーモニーのフレーズも、 実はキャロル・ケイが持っていたフレーズなんだと思うんだよね。だけど、それをチャック・レイニーが上手く使っている、使い方のセンスがね。
やっ ぱり僕はセンスを重んじるって言うか、やっぱり音楽の流れの中で、センスが良いか悪いかって、大きいと思う。そこでどうやって扱っていくかと言うセンス が、チャック・レイニーは素晴らしいと思う。
もちろんバーナード・パーディとのコンビネーションとグルーヴがあの時代、衝撃的だった。ドラムのグルーヴさ と、チャックの軟らかさ!今になって、チャック・レイニーって軟らかい、ちゃんと弱さがあるんだなとやっとわかったんだね。
自分はどちらかと言うとゴードン・エドワーズの音は好きなんだけど、チャック・レイニーの音は粋、おしゃれ、都会的。前に会った時も、とても紳士だなぁと思った。ゴードン・エドワーズだとそうじゃないかも(笑)
ーチャック・レイニーについての想いが伝わって来ますね。ではチャックさんに一言、お願いします。
やっぱり元気でいて欲しいし、後継の人の為に学校の授業をやっているんだと思うんだけども、そういう意味では、こういうミュージシャンがいて、アメリカを中心にした世界でやってきた事に、間違いはないんだと思うんだよね。そしてそれは僕らも伝えていかなくっちゃならないんだけどね。こういう素晴らしいミュージシャンがいたっていう事をね。
ある意味頂点にいる人を、僕らが聴いて、学んで、自分なりのスタイルでお客さんに伝えてっている訳だよね。で、その僕らの内側っていうのかな、それがチャック・レイニーという人のベースだったりしてる訳で、まして今も現役でやってらっしゃるのだから、とにかく元気で、ずっと我々に伝えっていって欲しいし、それを継承して伝えていかなくてはいけないね。
ー今日はありがとうございました。最後にチャック・レイニーに向けて、メッセージをお願いします。